茶具の変遷と欧州での茶の流行
香港茶具文物館の「南京貨物」という沈船積載品の茶壺は、その経歴から些か異様を放っていますが、この文物館に脚を運ぶたびに羅桂祥博士のコレクションの素晴らしさに感動します。そして紫砂壺の、時大彬「玉蘭花六辨壺」「印包方壺」、陳鳴遠「漩渦紋瓜形壺」、恵孟臣「圓腹孟臣小壺」、陳鴻壽「曼生壺」などの本歌の名品に出合えるだけでなく、茶の歴史、茶具の歴史を網羅的に学べます。それに旅人にはうれしい入館料が無料なんです(笑)。
ここに何度目かに訪れたとき、「中国陶磁茶具・茶具文物館羅桂祥珍蔵」1991年刊という書籍を購入しました。ハードカバーで350頁余の少々重い本ですが、我が家に帰って収蔵品の数々をゆっくり拝見したいと…。



茶具で私たちが興味をひかれるようになるのは、上の「白釉鼓腹鼠鈕壺」「徳化環帯鱗紋提梁壺」「青花花卉紋八稜壺」など、1700年前後を境にした頃からの物になると思います。それはこの様に現代に通じる実用的な形が定着してきた時代です。そして徐々に量産化されるようになり、海外にまで舶載される茶具の流行になります。それにしてもこの「白釉鼓腹鼠鈕壺」は、なんという詩情にあふれた茶壺でしょう。この時代の陶工の感性に脱帽ですね。
1992年「ペネロップ日本展」—食卓の芸術、ガロ・ロマンからアール・デコまで— という催事が銀座のデパートでありました。この展示品はもうどんなものだったのか記憶にないのですが、テーブルクロスを主体にした展示だったと思います。
その会場で図録を購入しました。それを自宅で見ていますと、図録の体裁をしていましたが内容は「食卓の歴史」といった、これまでにないジャンルの本で、以後我が家の大切な一冊になったのです。
その中で一番好きなページが「中国のティーポット」で、その物語りはこう始ります。
__『このセッティングは1710年のものです。貿易商である船主がサン・マロの城壁によって守られた花崗岩の家の中に、隠れ部屋を作りました。アジアの旅行から彼はたくさんのお土産とお茶を飲む習慣を持ち帰りました。グアヤックでできた携帯テーブルの大きな盆に、彼は中国製磁器のお茶セットを置きます。茶托のついた茶碗とティーポットがエキゾチックな雰囲気を演出しています。』
この後の文章には今では納得できない記述がありますので省略します。

このセッティングのポット、カップ&ソーサー、鉢など、瑠璃釉に金彩のものが使われていますが、そこはフランスの好みなんでしょう。一般的には青花磁器、いわゆる染付の磁器がこの頃のヨーロッパには沢山輸出され大変流行しています。ここには紫砂茶壺の前にミルクピッチャーのようなのもセットされていますね。
ごらんのようにこの時期のカップ&ソーサーのカップには持ち手がありません。熱いお茶やコーヒーをソーサーに移し、冷ましてカップにもどして飲んだといわれています。
巧克力杯の謎と意外な事実
1600年代後期から1700年代にかけては中国磁器輸出の最盛期で、お茶やコーヒーの楽しみと共にブルー&ホワイトの茶器を揃えることはステイタスとなったようです。

日本も80年代後半のバブル期に“青山骨董通り”を始め、古伊万里の食器を並べてお商売する古玩店が繁盛するほど、お金にゆとりがある方々は目の色を変えて食器を購入しました。
ヨーロッパ各国の王侯貴族から始った飲茶の習慣は、やがて商人や裕福な人たちに広がっていったのです。それにはこのような美しい中国青花磁器の魅力も十分にあったと思います。
gallery02 南京貨物の中で、『葛登《外銷瓷器》:イギリス東印度公司の記録、1699年ナッソー号から運んでロンドンに到着した82件の朱泥のチョコレート杯』という文があり、この元の中国語でチョコレート杯は「巧克力杯」です。訳していて突然“チョコレート”に出会い、無知なため違和感があり、またしてもペネロップを見ました。
ペネロップの「磁器とショコラ」の章から抜粋します。

歴史的にみるとショコラを最初に使ったのはアズテック人です。唐辛子や香辛料を加えて、苦い飲み物に変えられたカカオの粒、つまりショコラは素晴らしい存在でした。カカオの木の実は大変な収入になったため、スペインの冒険家たちはこの宝物を略奪しました。
その後ショコラは16世紀にスペイン中に広がり、スペインの王女で後にフランスの女王になったオーストリアのアンヌの好物として有名です。ルイ14世と結婚したマリー・テレーズもショコラ信奉者として知られ、王に価値を認めさせました。ヴェルサイユでまもなくショコラは認められ、1670年頃パリにやってきました。
ショコラは東インド会社によって輸入された、中国磁器の器に入れられます。ショコラのねりもののひとかけらは、完全に溶かすために、長い間熱湯の中でかき混ぜなければなりません。丈夫な容器を必要とするこの方法は、非常に速く、ピッチャー、ついには銀や磁器でできたショコラ沸しを作らせることになります。

そして他の章「マイセンの秘密」に移ったところにショコラ茶碗について__「ショコラ茶碗の2つの取っ手の出現が注目されます。一方、紅茶茶碗には、まだ取っ手がありません」と記され、1730年頃を想定したテーブルの情景が載っています。

朱泥の「巧克力杯」の謎を尋ねて、たどり着いた先はホット・チョコレートを飲む習慣と、その発展によって出現した、カップに取っ手が付いたのはチョコレート杯が契機になったという結論でした。
ヨーロッパの諸国や日本では、このように飲食に使う食器類に工夫を凝らして、意匠だけでなく機能にも変革をもたらす文化があります。その点中国では食器に対する文化が育ちません。ただひたすら生産し、輸出するばかりです。まあ宜興紫砂の世界は別にしてですが。
上の貴婦人風の女性がゆったりとホットチョコレートを楽しんでいる油彩は、ライムンド・マドラゾという画家の作品で、19世紀後半に描かれたもののようです。ホットチョコレートを飲む道具、そして手付きのカップとソーサーを持っています。こうして時代の雰囲気を後世に伝えることの大切さ、そこに絵画や写真の役割もありますね。

